チワワの歴史

チワワの原産国はメキシコとされていますが、そのルーツについては諸説があり、解明されていないとか。
メキシコ遺跡や文献からは、チワワの祖先ではないかとされるテチチという犬の痕跡が、多数発見されています。
しかし、テチチの存在が確認される九世紀より後に、他の大陸から連れてこられた別の犬種の末裔(まつえい)ではないか
という説も多々あるのです。
チワワ出生の謎
【チワワの故郷はメキシコ!?】
かつてメキシコには、チワワの祖先ではないかとされるテチチという犬がいました。
テチチはやや小ぶりの引き締まった体をしており、被毛は長く、吠えないという特性を持っていたといいます。
ところがこのテチチ、9世紀頃からの文献や遺跡でその存在が確認されていたのに、16世紀初頭にぷっつりと消息を絶つのです。
それは長く栄えたアステカ帝国が、ヘルナンド・コルテス(1485〜1547)率いるスペイン軍によって滅ぼされた時期と一致します。そしてその時スペイン軍が自国から連れてきた犬とともに上陸したという逸話があり、実は,その犬こそがチワワの祖先ではないかという説もあるのです。
著名なメキシコの飼育者は飼育者は、ベーリング海峡がかつて陸続きだった頃、そこを通ってアラスカに渡ってきたアジアの毛の無い小さな犬と、テチチの交配によって、現在の形のチワワが誕生したのではないかという説を唱えています。
【神聖な小型犬テチチがチワワの祖先】
テチチ祖先説は有力ですが、このテチチに似た犬は中米一帯にいたようです。
15世紀、コロンブス(1451〜1506)が現在のキューバを探検した際、スペインに送った書簡に、「吠えなくて人なつこい、小さな犬を見つけた」と記述しているのです。ただ、その犬もまた現存していません。
テチチはアステカ文明の繁栄を支えたトルテック族やアズテック族により、ペットとして可愛がられると同時に、宗教的儀式にかかせない存在でした。
死者とともに焼かれ、埋葬されることで、死者の罪をテチチが負って神の憤りを鎮め、さらに死者の魂を悪霊から守って目的地まで先導する役目を果たすと、信じられていたのです。
テチチは人間と神とを結ぶ存在として現在のチワワ同様愛され、人間に寄り添って生きていた犬なのです。
【アメリカで改良され世界に広がる】
テチチの末裔と毛の無い犬チャイニーズ・クレステッド・ドックの交配により誕生したともいわれているチワワ。
チャイニーズ・クレステッド・ドックは、16世紀初頭にはメキシコに持ち込まれており、テチチの血統が途絶えた時期と重なっています。
19世紀半ばから、アメリカ人によってアメリカ南西部で改良され、現在のチワワの容姿に近づいてきました。
チワワという名は、テチチの痕跡のある遺跡が発見されたメキシコの地名にちなんだもの。
当初被毛の短いスムースコートだけでしたが、のちにパピヨンやヨークシャテリアなどの交配がすすみ、ロングコートも登場しました。
アメリカケンネルクラブに登録されたのは1904年。それ以来「世界一小さい犬」の評価を得てアメリカから世界中へとチワワ人気は広がっていったのです。
しかし、実はこんな説もあるのです。
【チワワとテチチは無関係!?】
古代エジプトからマルタ島にもたらされた犬!?
スペイン人による征服以前のメキシコには犬は存在していなかった、テチチは犬ではなく※齧歯類 (げっしるい) であるという説もあります。
古代エジプト人の墓から出土した小型犬の頭蓋に、チワワによく起こるモレラ(頭蓋の骨が柔らかいために生じるくぼみ)の痕跡が見られることから、古代エジプトにすでにチワワとよく似た犬がいたらしいと考えられているのです。
その犬は紀元前600年頃、カルタゴの植民者の手によってマルタ島にもたらされたと伝えられています。
そして、15世紀にマルタ島がトルコに占領された頃から、マルチーズとともにヨーロッパ大陸各地へと持ち出され、スペイン王室でも飼育されていたらしい歴史があり、それがスペイン人の植民者とともにアメリカ大陸へ渡ったという説です。
※げっしるい【齧歯類】
齧歯目の哺乳類の総称。
鑿(のみ)形をした一対の門歯は絶えず伸びつづけるので、常に物をかじってすり減らす。犬歯はない。
哺乳類では最も種類が多く、リス・ネズミ・ヤマアラシの三亜目に大別され、約一六〇〇種が知られる。
ニュージーランドと南極大陸を除く世界各地に分布。
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